第15回 冬季研究大会
令和3年1月7日 オンライン開催
​パネルディスカッション

令和時代の理科学習の在り方

テーマ

パネリスト

鳴川 哲也 氏
鳴川 哲也 氏

文部科学省 教科調査官

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鐙 孝裕
鐙 孝裕

研究副部長 北海道教育大学附属札幌小学校

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冨田 雄介
冨田 雄介

研究副部長 札幌市立伏見小学校

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髙畠 護
髙畠 護

研究部長 北海道教育大学附属札幌小学校

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髙畠

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冨田

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髙畠

鳴川

髙畠

鳴川

髙畠

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冨田

髙畠

鳴川

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髙畠

冨田

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髙畠

鳴川

髙畠

鳴川

髙畠

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 本日のテーマは、『令和時代の理科学習の在り方』です。今はまさに変化の節目です。参会者の皆様にも、代えるべきことと、変えてはならないことをしっかりと見極めて、新学期や新年度から自信をもって子どもたちの前に立っていただけるような話し合いにしたいと思っております。

 本日は、大きく3つの柱を想定しています。

 1つ目は『問題解決』です。未来を見据えたとき、理科としては絶対に外せない視点です。

 2つ目は、『Society5.0の時代を見据えて』と設定しました。1つ目が、理科において変わらない部分だとするならば、ここでは変わる部分について考えていきたいと思います。

 3つ目は『理科だからこそ伸ばせる力』としました。教科としての価値と可能性を明らかにすることは、これからの理科の授業を考える上で重要なことだと思っております。

 今回のパネルディスカッションは、皆様にも参加していただこうと思っております。パネリスト3名の話し合いが進んでいく中で、質問や感想、ご意見やお考えなどを、ぜひ、チャット機能でお伝えいただきたいと思います。

 

 

 問題解決へ、昭和、平成、令和と時代が移り変わってもその重要性は、揺らぐことはないものと考えております。とりわけ理科学習においては、問題を科学的に解決することを重視しております。

・生み出した問題が実験によって確かめられるのかを考える

・何度やっても誰がやっても同じ結果が得られるかを検討し、多くの結果をもとに考える

・得られた結果から、何がどこまで言えるのかを考える

・こうした経験を重ねることで、科学的に問題を解決する力を育成する

 このことは、理科学習だからこそできることだと考えています。

 一方、近年はICTの普及により、以前よりもずっと簡単に情報を手に入れられるようになりました。そのため、目の前の実験結果よりも、どこかに正解だと書いてある知識を重視する、その知識に当てはまらない事実を無視してしまう、そんな姿も時折見られます。情報が簡単に手に入れられるようになるほど、科学的に問題を解決する力を育むのが難しくなってきている、そのように感じるのは私だけでしょうか。

こうした変化を受け、試行の重要性は以前にも増して高まってきていると感じています。これまでの自然事象との関わりを大事にしてきた理科では、子どもが自分の考えた方法で働きかけることを大切にしてきました。当然、そうした働きかけの中にはうまくいかない方法もあります。少し遠回りになるように思えるかもしれませんが、そうした方法も含め、自らの働きかけを見直しながら繰り返し働きかけられるようにすることが、目の前の実験結果を大切にするその態度を涵養することに繋がるものと考えております。ただ、試行が大事だからといって、思いついたことをとにかく試させればいいというわけではありません。子どもの主体性を大切にしようと思うほど、ついついそうなってしまいがちです。しかし、ただ繰り返し働きかけたとしても、問題を見いだすことにも、自然認識を深めることにもなかなか繋がらないものです。

 こうした子どもの姿から、私は試行する際に、見通しを伴うようにすることが大切であると考えています。見通しがあるからこそ、それまでの自分の考えと実際との矛盾点が際立ち、問題意識の醸成に繋がります。また、見通し通りになったとしても、更に可能性を感じ、働きかけを工夫し始めます。このように、単に繰り返し働きかけるだけではなく、見通しをしっかりと自覚できるようにした上で試行する場を位置付けることが、子どもと事象との距離を近づけるものと考えます。以上のような見通しを伴った試行の重要性について、鳴川先生のお考えをぜひお聞かせいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 指導要領でも明示されている通り、よりよい社会や幸福な人生を切り開くために必要な力としてメタ認知が挙げられています。問題をどのように解決するのか。自分が選択した方法は解決へ向かっていくのか、結果からどのように考えるかなど、それぞれの場面において知識と手立てを適切に適用し、次の学びを向かう過程にはメタ認知力が現れる場面だと考えます。それはメタ認知力の高まりにもつながるものです。また学び方を学び、次に生かしていくこともメタ認知力が現れる場面であります。

 しかし、学び方という側面は、得てして問題解決の流れや思考ツールを無自覚または無目 的に用いることのみにとどまってしまうこともありました。子どものメタ認知力を高めていくために、振り返りの質の向上を図っていきたいと考えています。

 今年度は、『理科日記』と題して、振り返りにも重点を置きました。過去の自分との比較を中心に書くことができるように促し、その上で、身の回りの生活と関連させている、他単元との繋がり、他者の価値を実感している、見方・考え方を働かせたことを価値付けるようにしました。その成果として、子どもが次の学習への見通しをもち、自らの伸びを自覚する姿が見られました。また見方・考え方を働かせた学びについても、ある程度自覚することができました。

 これらのことから、理科日記を通して自己を振り返るメタ認知力の高まりに繋げることができたのではないかと考えています。鳴川先生には、子どもの振り返りの質という点でお考えをお聞かせください。

 

 

 2人から見通し、試行、振り返りという問題解決の過程における要素について話していただきました。それでは、鳴川先生、これらの点についてお話をお聞かせいただければと思います。お願いいたします。

 

 

 鐙先生の話は、ただやればよいという話ではなく、きちんと見通しをもってというところがしっかり出ていました。「見通し」は、これからも大事にしなければいけないキーワードだと思います。振り返りもそうです。今回のテーマは『令和時代の理科学習』。新たな時代ということですが、中教審答申や総則の解説などから「時代」ということを検索すると、「予測困難な時代」という言葉が出てきます。つまり、子どもたちも我々もすでに「予測困難な時代」になっていくことは、ひしひしと感じています。では「予測困難な時代に必要な資質・能力は一体どういうものなのか」を考えてみます。

 我々の日常生活において「こうしたらよいのではないか」と予想しても、すぐにそれが覆されてしまう世の中になってしまうということです。それは、我々大人でも「こうしたほうがよいのではないか」と見通しをもったとしても、それがうまくいくとは限らないという世の中だということです。その時に「もうやめました。自分の予想とは違うのでもう諦めました」とするのか、それとも「やってみたんだけどうまくいかなかった」そこで粘り強く「次にどうしたらいいんだ」と、新たに目的を再設定しやっていくことが、やはり世の中も我々も大事なのです。GIGAスクール構想になり、まもなく1人1台端末が整備されます。それをどう使うか考えたときに、「面倒くさそうだな、やめよう」というのか、「やってみる」そしてうまくいかなかった時は「どうすればいいんだ。仲間に聞いてみようかな」といろいろと考えながら試行錯誤を繰り返していく、またはやってみるということが我々にも大事なのです。それは、当然子どもにも大事だということです。

 これからの時代を考えた時に、この粘り強く取り組んでいくという態度は、「学びに向かう力、人間性等」の部分ですが、非常に重要だと思います。それを考えたときに「振り返り」というものも同時に出てきました。元々理科教育では見通しをもつということを大事にしてきたので、私はこの部分に、やはり新たな価値をもう1回見いだしたいなと思っています。今の冨田先生の「振り返り」という説明の中で、振り返りはどのタイミングでやるのかなと思いながら聞いいました。そうすると「理科日記」という話でした。確かに、一問題解決が終わった段階で、このトータルとして自分の学びを振り返り理科日記に書く、ただ「楽しかったです」とか「面白かったです」だけではなく、ちゃんと視点を明確にして「今学んだことが日常生活とどう繋がっているのか」とか「見方・考え方をどのように働かせたのか」とか、視点を明確にもって振り返りをすることによって、学びの質が向上するのは全くその通りだろうと思います。ただ振り返らせるのではなく、ある程度視点を明確にして、その視点が育成を目指す資質能力に繋がっている視点が大事だと思います。

 しかし、もう一方で「見通しをもつ」ということを考えたときに、ただ闇雲に実験をするのではなく、解決したい問題に対して「僕はこう思うよ」「僕の考えが正しければ、この実験をすればこうなるはずだよ」という結果の見通しを明確にもつことが大事です。そうすることによって、観察、実験が先生から与えられた活動ではなく、自らの活動になっていきます。さらに、予想したことと結果との一致、不一致が明確になりますから「あれ、僕の考えとは違ったぞ」という場合、もう一度予想に立ち返ったり、またはもう一度実験の方法を見つめ直したりすることが「見通しをもつ」ということの意義です。そうすると、問題解決のプロセスにおいても、見通しを明確にもった問題解決をするからこそ、子どもは振り返りの時間を取らなくても、振り返りをします。ですから、先生が与えた問題をただ解決するのではなく「僕はこう思うんだ」「この実験をすればこうなるはずだ」と、その結果の見通しまでもった上での問題解決をすることで、その子どもが常に自分はどう思っているのか、メタ認知の側面も向上しながら、問題解決していくのです。鐙先生がおっしゃっていた、粘り強さ、それから学びに向かう力というのも、おのずと連動して身に付いていくと考えていました。

 さらに「振り返り」という視点では、今後のGIGAスクール構想でICTの活用が出てきますので、そこで自分の学びの履歴を確認していくという、ポートフォリオ的な発想だと考えます。そうすることで振り返りの質も向上していくため、一人一台端末というのも有効に使えると思って聞いていました。

 「粘り強さ」は、エデュケーション2030では、対立やジレンマを克服する力とも関わってくるのかなと思います。そういっても試行は重要、ただし、ただやらせっぱなしではない。そしてまたメタ認知力を高めるためには、振り返りの質の向上は重要だが、授業後に行うだけでなくて見通しをもっていれば、どのタイミングでも子どもたちは立ち返って、他者を求めたり、ものに返ったりする姿を生むことができる。どちらも見通しの重要性ということが今話を聞いて、大切なのだということを実感できました。

 「振り返り」というよりは、「見通しと振り返り」ということを考えた方がよいのではと思います。

 鳴川先生のお話の後半で、GIGAスクールのICTポートフォリオ的に蓄積していって、またそこで自分の学びをメタ的に見ることができという良さもあるとおっしゃっていました。柱の二つ目ですが、Society5.0時代を見据えてという話題にいきたいと思います。2つ目の柱は「不易と流行」の“流行”になると思うのですが、Society5.0見据えてお願いいたします。

   「1人1端末」新型コロナウイルス感染症の影響で、GIGAスクール構想が一気に進展し、まだ先かと思われていた、1人1端末がある状態での授業が目前に迫ってきております。これまで理科の問題解決は直接体験を重視してきました。また、他者を効果的に生かしながら追究を深めてきました。この三つの関係性はおそらく今後も大きく変わることはないものと考えております。しかしながら、1人1人端末が導入されることにより、今度、学びの姿、これは大きく変わることが想像されます。

 5年生「天気の変化」の学習では、同じ空間で同じ事象をリアルタイムで見つめるからこそ事象を通して仲間とともに自然認識を深めることができます。昨年の臨時休校中に、ZOOMを用いて「天気の変化」の学習を行ったときの学習で、子どもたちはタブレットを用いて、それぞれの住む地域の空の様子を映し出しました。そうすることで、空間的な見方を働かせながら、それらの情報と、目の前の雲の動きとを関係づけて、天気の変化の規則性を明らかにしていきました。1年前までだったら想像もつかなかったような、そうした授業展開の可能性があります。正直、この実践を行うまでは、私自身理科学習において、ICTの活用には積極的ではありませんでした。しかしながら、1人1端末を用いた子どもの学びの姿を通して、新たな学習展開の可能性を感じています。

 今、私達は、直接体験か、それともICTの活用か、という二項対立で物事を考えるのではなく、どのようにICTを活用し、問題解決の過程を充実させていくのかという視点で考えることが求められているのです。しかし、いざICTを活用しようと思うと、問題解決のどの場面でどのように活用するのかという方法ばかりに意識が向いてしまって、何のためにICTを活用するのかという目的についての意識が薄れてしまうこともあります。そうならないためにも、ICTの活用を考える際には、関係性の視点も踏まえることを大切にしていきたいと考えております。ICTを観察実験の代替ではなく、それぞれの繋がりがより確かなものとなるように、そして問題解決の過程をより充実したものとなるようにしていきたいと考えています。鳴川先生には、こうしたICT活用の方向性に加えて、今後の国としての展望などもあれば、ぜひ可能な範囲でお聞かせいただきたいと思います。

 

 

 現在、ICTが急速に発達しています。世界中にあらゆる場所、時間から繋がることができ、情報処理、通信も高速化、大規模化しています。またAIの発達により、様々なことが可能になる反面、人が求められる領域も変化してきています。さらにGIGAスクール構想など教育環境にもIoT化が進むと考えられます。これらは感染症予防の観点から取り組みが加速していると捉えています。

 このような時代におけるこれからの理科教育を考えるにあたって、これまで大切にされてきた仲間と共に学ぶ意義について改めて見つめ直す必要があると考えました。今後ますますICTが発達すれば、一人一人が自ら考えた解決の方法で、繰り返し事象に関わり、オンラインでその結果を伝え合ったり、考察を話し合ったりすることができるようになります。このことから、科学的であることや、他者と共に学ぶこと人間性を涵養するといったことは、目の前に他者がいなくても可能になるかもしれません。つまり現在のように、顔を突き合わせて活動することが当たり前ではなくなる時代が来るかもしれません。個の学びを考えた場合、学習効率という面では、こういう環境の方が優れているかもしれません。

 しかし、顔を突き合わせるからこそ、深まる学びがあるのではないかと考えました。理科の授業だからこそ、仲間と共に、同じ空間で時間を共有して学ぶからこそ生まれる価値を捉えて実践していきたいと考えています。その価値とは何なのか。1つは、子ども同士が互いに考え、気付き、関わり、工夫を取り込みながら活動できることです。1つの事象を一度に数名の視点で多方面から見たり、個の捉え方の違いから、目の前で起こっている事象をその場で見つめ直したりすることができます。また、他者の考えた観察実験も行うことができるので、新たな考えを作り出せる可能性を高めることにも繋がります。2つ目は、リアルタイムで他者の考えや行動に触れられることです。やはり事象に触れたその瞬間に、個の違いというのは大きく現れるのではないかと考えます。友達との違いを捉えることが、メタ認知活動へのきっかけにもなると考えます。これからの時代における仲間と共に学ぶことの価値について、鳴川先生の考えをお聞かせください。

 

 

 ICTの活用は自分と事象を遠ざけるものでなく近づけるものであり、他者とも繋がるように活用できる可能性、そして冨田先生はICTが発達してもなおやはり他者の価値っていうのは外せないっていうような話だったと思います。

 

 

 鐙先生の方の話にもありましたが、まず大前提として、もうこれは絶対外せないぞという話としては、1人1台端末が子どもたちの手元にやってきたとしても、それは観察、実験の代替ではないということです。ここは本当に強く言いたいと思っています。それというのも、今日ここにいらっしゃる先生方は、それは当たり前だと思っていると思うのですが、皆さんの近くにいらっしゃる理科がちょっと苦手だと思っている先生方は「便利な道具がやってきた。これで動画を見せて実験したことにしてしまえ」とか、または、本当は直接目の前の植物を観察させなくてはならないのに「写真で撮って観察したことにさせてしまえ」「これは便利だ」と、使い方を考えているかもしれません。しかし、それでは理科の力はつかないわけです。ですから、皆さんは一人一人が理解していることを自分の中に止めるのではなく、周りの先生方に広めていっていただきたい。理科だからこそ、こうやって使うのだということ、絶対外してはいけないことをしっかりと伝えていただきたいと思っています。

 それを踏まえて、国としては大きく3つのステップを考えていま。1つ目は、1人1台端末が整備されますので、とりあえずは使ってみようというステップです。次のステップ2は、1人1台端末を使うことによって、その教科の資質・能力にどのように寄与しているのか、そういう使い方はどうあるべきなのかということです。北理研の皆さんはこのステップ2について、多分研究されていると思います。ステップ3は、各教科等の学びをつなぎ、社会課題等の解決や一人一人の夢の実現に活かすというものです。現段階ではステップ2を意識して活用の仕方を考えていけばよいと思います。

 GIGAスクール構想は確実に子どもたちの学びを変えていきます。例えば子どものアウトプットする方法として、ノートに書くという方法もあれば、もうタブレット上にペンで書いていくという方法もあります。ゆくゆくは、ノートがタブレットに置き換わっていくことも考えられますが、そうなると、ノートに書く価値とは一体何なのか、ということを考えていかなくてはならないと思っています。

 例えば第3学年では、植物の体の作り、根、茎、葉ということを学習します。その時に、目の前にある植物をタブレットで写真に撮って、その写真の中に「ここは根ですよ、ここは茎ですよ、ここは葉ですよ」と書いて、子どもが理解できるのかということです。今までだと、ノートなどにスケッチをして、自分で書いて、そして自分で理解していたわけです。そうした学びは、写真に撮って根、茎、葉と書き込むだけで理解できるのでしょうか。これを、小学校、中学校、高等学校という発達の段階を踏まえて考えてみます。小学校は、物事を理解するうえで、自分できちんとスケッチする活動が重要だと考えれば、便利だからといって写真撮ってそこに書き込むことが、小学校の段階で必要というか、または、どこまで重要なのかということを我々がこれから吟味していかなくてはならないと思っています。ですから、全てがタブレットにとって代わるわけではないのです。このようなことを踏まえながら考えていく必要があります。

 冨田先生の話ですが、事前にいただいた概要の中に「個別最適」っていう言葉が載っていました。この「個別最適な学び」というのは、「令和時代の日本型学校教育」という中央教育審議会の答申の素案にも載っている言葉です。ICTがどんどん発達し、1人1台端末になると、何かを一人で黙々とやるというイメージになっていますが、実はそうではなく「個別最適な学び」ということと一緒に「協働的な学び」ということも伝えています。

 「個別最適な学び」が、孤立した学びにならないようにもいっています。他者との関わり合いも非常に重要になります。理科は授業の中で、当然、実証性、再現性、客観性という側面から検討するわけですから、他者との合意形成が必要となります。タブレットがあれば、別々の空間にいてもそれはできるのではないかと考えます。しかし、やはり同じ空間に同じようにいる価値は、大事だなと思っています。

 例えば、6年生の「燃焼の仕組み」で、蓋をしたら集気瓶の中にろうそくの炎は消えます。その時に、ある子は「空気なくなったから消えたんじゃない」と、実体的なな見方を働かせて発言する。ある子どもは「空気の性質が変わったんじゃないの」と、質的な見方を働かせて発言する。その時に「えっ。ぼくの言っていることと違うな」と考えます。見方が違うときに「お前は間違っているぞ」というのではなく、「あなたはそういう見方をしたんだね」と多様性が尊重されます。我々がこれから生きていく時代は、一人一人が考えをもことは当然大事ですが、自分とは違う他者がいるということをしっかりと理解しながら、この世の中どうやって住みよい世界にしていくかということを考えることが大切です。「自分の考えが正しいから、お前の考えを排斥します」という世の中ではありません。そうすると、理科の授業にあっても「いろんな考えがあっていいんだよ」です。それを認めながら、みんなで解決していこうということですから、それは本当にこれから我々が世の中でやっていかなくてはいけない態度と全く一緒だと私は思います。冨田先生がおっしゃっているように、1つの空間の中でいろんな違う考えがある、それを認めつつも、ではどうするというふうにやっていくことが理科ではすごく大事ですし、今までも大事にしてきたことを、改めて私たちはもう一度考え直さなくてはいけないと思っています。

そのためには、今までの理科の授業の中で、本当に一人一人が大切にされたかということを考えなければなりません。誰が、または意見を主張する子がいたから「では、そうしよう」と授業を進めていなかったか、首をかしげている子ども、悩んでいる子ども、そういう一人一人を大事にし、「僕はこう思うんだけど」ということが表出されるような、理科の授業のあり方が改めて求められるのではないかなって思います。こういうことを言うと、確かにそうだと納得していただけるのですが、一方で、そういう学びを構築していくと時間がいっぱい必要だと多分思うでしょう。では、学習内容をもう少し減らせないのか、という声も聞こえてきます。それは次の改訂の課題としながら、やはり一人一人が大切にされる学ということが、やっぱり「個別最適な学び」ということだと考えます。一人で黙々やる学びではなく、一人一人が大事にされる学びということだと、私は理解しています。

 

 

 「一人一人が大切にされる学び」というと非常にしっくりきます。「個別最適な学び」、そして「1人1台端末」となると、そうした言葉に引っ張られる誤解も、またこの後出てくるのではないかなと思います。今の話を聞かれた参加者の皆さんは、ICTがあっても、他者は欠かせないし、他者と繋がる可能性があるというところを感じたと思っています。ただタブレットで一覧にみんなのノートや考えを見ただけで共有することというのは、なかなか難しいです。ただ見ることはできますが、それを共有と言っていいのか、もっとそこにICTと他者との繋がる可能性というところで鐙先生、何かお考え何かありますか。

 鳴川先生がおっしゃるように、個が際立つというところに繋げられるな、と自分も考えています。例えばノートを映し出して共有するだけであれば、これまでと変わらないと思っています。ICTを使うというのは、ただ他者を見られるっていうよりは、他者に働きかけたくなったり、他者との繋がりをより確かなものにしたりと、そこで生まれた新しい視点、それも踏まえてもう一度事象に立ち戻れるようにするような使い方が可能性として考えられるのかと、今、お話伺っていて思いました。

 

 

 これから、本当に未知なのですが、ICTは他者と結びつく可能性もあるということが少し見えてきたと思います。これからの実践において意味があることなのではないかなと思います。

 3つ目の柱「理科だからこそ伸ばせる力」です。教科としての価値、可能性を考えることは、未来の理科学習を考えていく上でも重要なことです。

 

 

 急速に変化を続け、様々な問題が見いだされるこれからの社会では、ある問題に対する解が時代や状況によって変化したり、全てを網羅する解がなかったりする場合があります。そのような状況においても、責任をもって自ら考えを主張したり、行動を決定したりする力が求められています。

 このような背景のもと、主体的に問題を解決する態度を涵養するために、私は自己決定力に 着目しています。観察実験において、自己決定して活動に向かったとき、子どもが生き生きと活動に取り組む姿が見られます。「このぐらい溶かしてみよう」とか、「もっとゴムを伸ばしてみよう」とか、自らの方向性と手立てを決定しながら活動を進めていきます。一方で他者の決定に頼り切った「どうする。」とか、「先生これでいいですか」などの姿も見られます。もちろんこのような子どもも理科を楽しみ、生き生きと活動に向かうことがあります。

 しかし私たちが求める主体性は、前者のような子どもです。このような姿を実現するための鍵が、自己決定力の高まりではないかなと考えました。子どもの活動形態で考えると、個で取り組む場合、自ら行わなければならないことから、一人一人の機会を確保することができます。しかし、グループでの活動ではあまり試行していなかったり、他者の決定に黙って従ってしまったりと、個の選択や決定という視点から見ると難しさをはらんでいるようにも思えてきます。自己決定力の高まりという視点で子どもの学びを考えていくことが重要であると思うのですが、いかがでしょうか。

 もう1点、自己決定力という視点から、グループ活動の価値や難しさについて、鳴川先生のお話をお聞かせ願いたいなと思います。

 

 

 自己決定しなさいというだけでは、その力の育成には不十分だということですね。私は、子どもが自己決定したくなるようにすることが大事で、そのためにはやはり問題意識の醸成ということが、欠かせないと思いました。

 

 

  理科だからこそ伸ばせる力としては、やはり科学的に問題を解決する力だと考えます。ただ、普段理科の授業を行っていると次のような姿を目にすることがあります。問題を見いだす姿、一方では問題を与えられるのを待つ姿、根拠のある予想や仮説を発想する姿、一方では、教科書に書いてある事実のみを書き、根拠を書こうとしない姿、解決の方法を発送する姿、実験方法が示されないと動き出そうとしない姿、より妥当な考えを作り出す姿、自分の実験結果のみで一面的に物事を判断する姿、これらの姿の違いが生まれたときに、つい子ども自身にその要因を求めたくなってしまいます。しかし、私たちが物足りなさを感じるこうした子どもの姿の中にこそ、全ての子どもに問題解決の力を身に付ける理科授業を実現するためのヒントがあると考えております。

 私は日々の理科学習を通して、子ども自身が価値を作り出せているかどうかが、先に述べ た姿の違いが生まれる要因であると考えています。新たな価値を作り出すことについては、Education2030の中でも触れられています。2030年の時代を生きていくために必要となる力として『新たな価値を創造する力』『対立やジレンマを克服する力』『責任ある行動をとる力』三つの力が示されております。

 それでは子どもが作り出すべき新たな価値とはどのようなものでしょう。それは次の二つだと考えています。1つ目は「見いだした知識の価値」、もう1つは「自他の働きかけの価値」です。問題解決の過程を通して知識を得ることが、ゴールとは考えていません。もちろん知識を獲得すること、それ自体はとても大切なことです。ただ、そこで止まらずに、その知識によって、どれだけ目的に迫れたのかを捉えたり、獲得した知識と身の回りのものとの繋がりに目を向けて、ものの見え方が変わったことを実感したりすることは、学ぶことの有用感を得ることに繋がって、更なる問題解決に向けた原動力となりえます。また、問題を解決することに、自他の働きかけが役立った、そういったことを見いだすことは、活用を促す、変容的な力を身に付けることに繋がります。つまりこれら2つの価値を、自分自身で想像する力、それこそが問題解決の力を伸ばす上で欠かせないということです。

 「もののとけ方」の学習で、食塩が水の中でどのように広がっているのかを明らかにするための実験を行った後の振り返りです。この子どもは、問題解決の過程を通して、曖昧な場合は変化がないものと比較することについて、価値を作り出していることが分かります。こうした技能を教師が一方的に指導したとしても、なかなか価値の実感には結び付きません。当然価値を感じていない子ほど、活用することもありません。この子どものように、問題解決の過程を通して、見いだした知識や働きかけについて、自分自身の価値を作り出すことにこそ、大きな意味があると考えております。

 以上のことから、全ての子どもが問題解決の力を身に付けられるように、新たな価値を作り出す力、そこに着目して授業づくりを行っていくことが大切だと考えております。この点についてぜひ鳴川先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

 

 

 理科だからこそ伸ばせる力として自己決定力、そして価値を創造する力を上げてもらいました。これらの点について鳴川先生のお考えをお聞かせください。

 

 

 冨田先生の「自己決定力」ということですけが、私の立場からすると、「○○力」ということをあまり公言できません。「○○力」というと「それは資質・能力と別に考えているのですか」とか「資質・能力のどこかに位置付けられるものですか」ということになるので。「自己決定」ということに関して言うならば、それはすごく大事だと、さきほどの「個別最適な学び」と連動していると思います。やはり一人一人が大事にされる学び、ということは、それぞれが「僕はこの問題に対してこう思うよ。だから、この実験をすればこうなるはずだよ」という、自分が決めたということなのです。ですから先ほどのテーマの2つ目と関わるように、自分で決める、自己決定するっていうことは非常に重要だと思っています。時間がかかるかもしれません。しかし、一人一人を大切にするということは、一人一人に自己決定の場が保障されているということであり、それは問題解決の様々な場面であると思います。自分で考えた方法でやるとなると、何かバラバラしてやるような感じになるかもしれません。そうではなく、例えば自分の考えた方法で自分なりに実験するという場面は当然ありますが、1つの同じ実験であっても「この実験すればこうなるはずだよ」「いや、こうなるはずだよ」「こうなるはずだよ」というように、結果の見通しがみんなそれぞれ違ってもいいかもしれません。その時にはグループでやるという意味はすごくあるわけです。「こうなるはずです」「あ、私と違う結果になったよ」「誰々君と同じだったよ」という感じです。そうすることによって、グループ活動にはグループ活動の意味もあるので、一人一人が大切にされている、つまり、自己決定がされている、結果の見通しがしっかりと明確になっていると考えます。問題解決においては、一人一人でやっても、またグループ活動でやっても、主体的な学習になるというように思って聞いていました。

 鐙先生の方では、確かにEducation2030でも新たな価値を創造する力ということをいっているので、これから大事な力であることには間違いないと思っています。鐙先生がおっしゃっているように、新たな価値っていうのは一体何なのか、理科における新たな価値を創造するとは一体何なのか、ということですが、私もそこは気になるところです。問題解決の活動を通して「磁石の性質はわかりました」「電気の性質がわかりました」という知識を獲得したことをもって、新たな価値を見いだしたっていえるのかというと、私はそれでは足りないっていう話をよくしています。鐙先生がおっしゃったように、磁石を学習して、磁石の性質はわかった、そのことが自分たちの生活と繋がったときに「磁石の性質があったから、こんなに我々豊かな生活を送っている」と、こんなに便利に生活できるというように、今まではそういうふうに見てなかったものが、見え方が変わるということです。そうなった時に「磁石はすごいや」ということになるのです。そういうことを理科で扱っていくことが、新たな価値の創造することになると考えます。今までの理科の授業の中で足りなかった部分が明確に、つまり、問題解決を通して結論が出た、そこで終わるのではなくて、得た結論をもとに、もう一度、日常生活の中で出会う自然の事物現象に当てはめてみるということです。スタートが自然の事物現象なら、ゴールももう一度自然の事物現象に戻す。そうしたときに今までとは見え方が違ってくるということを子どもに実感させることは、これからもっともっとやっていくべきだと思います。

 それから鐙先生の「自他の働きかけに価値」というのは、そのプロセスへの価値です。いうなれば、理科では問題を科学的に解決するわけですから、そういうプロセスの価値ということだと思います。今、コロナウイルス感染症の問題にしても、やはり今回緊急事態宣言を出すにしても、どういう宣言を出すのかにしても、“エビデンス”をもとに考えているはずですし、ワクチンを開発するにしても“エビデンス”をもとに科学的に解決しているわけですから、まさに科学的に解決するということが、理科の授業だけではなく、世の中の問題を解決することにも、すごく役立つものなのだっていうことを理解すれば、子どもたちは学んで得た知識だけではなくて、その学び方、プロセスそのものにも価値を見いだすのではないかと思っています。その意識をどれだけ子どもたちに伝えられるか、ということが大事だと私は思っています。

 もう1つ、このプロセスについて価値を見いだすということは、世の中の問題を解決するために科学的に考えるということは、当然大事なのだけれども、科学的に考えれば全ての問題が解決するわけではないということです。つまり、科学は万能ではないということです。我々の理科の授業の中でも、結論を出すときに科学的にアプローチしますが、それは決められた条件の中でなら、いえるというだけの話です。限定がかかっているわけです。それが全ての事象に当てはまるかどうか、というのはまた別問題です。だから我々が理科の授業でやっているのは、この条件の中ではそうはいえるが、この条件を外せばそういうことはできないかもしれない、ということも、また一つ大事なことではないかなと思います。世の中の問題が、全て科学的解決できるというような、そういう傲慢な態度ではなくて、科学は謙虚であるべきだなと思っているので、そういうことについての価値、科学についての認識、アプローチの認識というものを、一方で大事にしなくてはいけないと思っています。そういうことを今、考えました。

 

 

 鳴川先生ありがとうございました。やはり問題解決というところが外せないというところかと思います。自己決定に関しても、それは結果の見通し、ここでも見通しが出てきましたが、結果の見通しを含んだ問題解決、それは個別最適な学びにも繋がっていくことになります。また、価値については、3つ目が出ました。1つ目は、知と生活が繋がる、それこそ本主題の知がつながる問題解決の実現を目指しているのですが、身の回りの生活と得たものを繋げることでわかり直すだけではなく、理科を学ぶ有用感や心情を高めることにもつながる。またプロセスの価値の中で、科学は謙虚であるべきというところを、新しい視点いただいたと思い大変勉強になりました。教科性で理科だからこそ伸ばせる力という点では、教科として、特に見方というのは、見方・考え方の考え方とあえて区切らせていただくと、見方に非常に教科性があり、これは力ではないので、ただ、確かなものにしていくことがとても大事だし、理科でしか伸ばせられない大切な要素だと思うのですが、鳴川先生、お話いただいてよろしいですか。

 

 

 全く同感です。見方・考え方は、教科によって見方・考え方として定義する教科もあれば、見方と考え方と分けて定義する教科もあって、どちらも正しいわけです。しかし、理科は見方と考え方と分けて、見方というのは、理科の内容に連動しますから、理科の学習対象となっている自然の事物現象に対しての見方なのです。ですからこの見方は非常に大事です。

 

 

 ありがとうございました。最後、まとめさせていただくと、3つの柱で議論してきたわけなのですけども、2つ目も3つ目も、やはり当たり前ですが、問題解決から離れることはなかったなと思います。理科の問題解決を実現することでこそ、子どもの資質・能力を育成できる。もっというと、子どもの問題解決を実現させなければ、資質・能力は十分に育成できないとも言えそうです。